フジヤ電気工事株式会社の経営継承

 “和”を大切にする心

第7弾は、フジヤ電気工事株式会社です。

 

フジヤ電気工事株式会社の初代社長、柴崎四郎氏(故人)が川越南通町の自宅で創業したのは、昭和23年(1948年)。岩堀建設創業者の初代岩堀徳太郎が修行していた建設会社で知り合い、お互いに意気投合。奇しくも初代徳太郎が建設会社を設立したその年に、電気工事技術者として独立を果たしました。昭和35年(1960年)に会社組織に発展。岩堀建設の協力会社グループ「徳栄会」の発足メンバーで、「徳栄会」の会長が変わっていっても四郎氏は不動の副会長として2代目の岩堀徳太郎からも厚く信頼されていました。

フジヤ電気工事(株)第2代社長として柴崎洋二現代表取締役会長が、会社を引き継いだのが昭和59年(1984年)、40歳の時。東京電力で管理職候補として勤めていた洋二氏は、父親の四郎氏から昭和47年(1972年)に強制的に引き戻され入社。その3年前昭和44年(1969年)には岩堀建設の事務員だった奥様の淑子さん(新社長の母親)を見初め、生涯の伴侶を得ることになりました。つまり初代四郎氏による跡取り完成図は、気が付けば雁字搦めに描かれていたのでした。洋二氏が会社に戻ると、奥様の淑子さんも経理として入社、以来二人して会社を支えることに。突然父親から社長交代を伝えられ、右も左も分からないまま会社経営を任せられる苦労は、並大抵のものではありませんでした。

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 懐かしそうに思い出を語るお二人

 

 

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真剣な表情で積み重ねた

苦労と努力を語る洋二会長

社長就任した頃、一時は一つも仕事がないという絶体絶命の状況が続き、睡眠時間は1週間にたったの5時間という日もありました。そんな厳しい会社経営も夫婦二人して、そして何よりも力強い兄弟たちが集結し、お互いに励ましあい、一つ一つ乗り越えていくことができました。その苦労は見事に実り、平成4年、小ケ谷の地に現新社屋を建てることに。それは苦労を乗り越え掴んだ2代目洋二社長の「汗と涙の結晶」を感ずる瞬間でした。初代はその晴れやかな姿を見届けて平成6年に勇退され、同年逝去されました。

そして平成30年1月、こうした初代、2代の思いを引継ぎ、3代目柴崎弓弦(ゆづる)代表取締役社長(43歳)が誕生。「和」を大切にする心を引継ぎ、目指す社長像は「チームワークとケジメの両輪を繋ぐ要」と胸を張って答える弓弦氏。「難しい時代だからこそ仕事のスイッチ切替を明確にし、有能な人材を確保、明日へと継承していく」と力強く抱負を語っていました。また「外国人の採用など、今までは臆していた施策など思い切った手が必要だ」とも。思いは3代目がどういう経営をしたかで企業の継続は決まるとの心情を覗かせていました。ここにまた一人、頼もしい3代目が誕生しました。

 

DSC_3268晴やかな表情で今後の展望を語る弓弦社長

希望に満ち溢れています!

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洋二会長の奥様と笑顔のスリーショット! 本社前で記念撮影

 

 

 

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